私たちはいくつの殻を心に纏って生きているのだろう。

私にはわかる。

私の心は幾層もの殻に被われて自分でもたまに心が見えなくなっていることを。

殻は本来の自分の心を殻は守るけれど、それが重なると、徐々に自分の心が見えなくなるところまでになることがある。

ゆっくりと、殻の中へ意識を向けると、無防備だけどキラキラした自分自身に出会える。

心を落ち着かせて、たまにそこへ戻ることをしなければならない。

それを忘れると、表層の自分に虚しくなってしまうから。

そして、図らずもそのこと自体が他者を傷つけることもあるから。

戻ろう。自分へ。

 

アッシュの言葉が

今ならとても理解できる。バナナフィッシュのアッシュの言葉が。

エイジといることで、暖かさが自分の心を満たしていく感覚になるということが。

自分の冷たい心を恥ずかしく思うということが。

最後はエイジのためにもう、会わない。あいつにとっては俺は疫病神だ。思っているだけでいい、それは自由なはずだから、と決意することも。

 

私も、もう、彼には会わないだろう。

 

それが正しいことだから。

 

そういえば、私も心も、何処かがずっと冷たくなっていて、それに気が付かないようにあれこれして生きていた。

彼に出会うまでは、自分にそういう部分があったことも、忘れていた。

彼に会って、心がじんわりととてもとても、解けるように暖かくなる瞬間があった。

その時だ。自分が暖かさに飢えていたことを知ったのは。

ずっと強がって生きていた。

周りの期待に応えることをしないと必要とされないと思っていた。

彼には全くそういうつもりはなかったのだと思う。私を癒やそうとかそういうことは。

ただ、彼のそういう一面に出会った時、私の求めていたものに出会えたのだと思う。

彼の笑顔。やっと笑ったね、という言葉とともにあった。

きっと彼は、自分の大切な人にそういうふうに接するのだろうな、と思った。

その風景を想像すると心が温まった。

私もそんな風な家庭で愛されたかったと思った。

それはもう、叶わない願いだけれど、彼はそういう時間もこの世の中には確かにあるのだと、教えてくれた。

 

私もこれからそういう温かさとともに生きていけるような時間を出来るだけたくさん過ごしたい。

そうすると、今よりずっと安心できるはず。

 

今までありがとう。

君の幸せを祈るし、私も幸せになる。

 

 

 

散歩

散歩をしてると、歩くリズムに合わせてバッハのゴルドベルクが頭を流れた。

テンポが同じなのだ。

冬の景色。

風の冷たさ。

枯れ草のそよぎ。

今年なくなった、愛犬と散歩しながら、そういった風景の中にいた時間を思い出す。

散歩の無の時間。

私の愛犬はそれを毎日の散歩の中で教えてくれたのだ。

遠くを見よう。

風を感じよう。

生きよう。

深い青い底

深い意識の底は、薄く青く、真にくつろげる静かなところ。

いつも無口になりがちな君はそこでくつろいで眠っているかのようだった。

目を閉じて、いつでもそこに行って、休むことができるのだ。

遠く上の方には光が音もなく降り注ぐ。

孤独を忘れる、穏やかな時間は、そっと柔らかな感覚を取り戻してくれる。